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☆イ・ジョンジェを捜して☆

韓国映画『情事』を見て 鍛えられた細身の肉体の美しさと 何より その指の美しさに魅せられて 私なりの イ・ジョンジェをスクリーンやテレビドラマの中に捜していきたい。



楽釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/29(Sun)

=ジョンジェの 仮想シナリオ・・・小説・作文

僕は寝床に入る前に 日記を書くと 心が ほのぼのする。
特別な 仕事がない日には、自分を 主人公にした小説を書いている。
1995年 生きていく イ・ジョンジェの また 違う姿を想像して この事を でっちあげることが 僕を 楽しくする。
この一つの理由は 今とは違う 僕を創造する事が 愉快で、二つ目の理由は 文字を書く事で 想像力を具体化させることができたり、この事で 自分を整理する事が出来るからです。
今から 僕が想像してみたイ・ジョンジェを紹介しますが、読者の皆様に 注意することは、これは 実際の状況ではなくて、僕が なってみたいことでも無くて、単に イ・ジョンジェが書いた 想像小説の主人公の事で・・僕を 起用しただけのことです。

「해서 안될 사랑은 없다 」 これが 僕の想像小説の題名です。
僕は 平素 都会で生きているサラリーマンを 演じたいとよく言っていたんです。
未だに 建築家の夢を育てて生きてるんだけど、この夢を 成し遂げるまで 努力するサラリーマンとしての イ・ジョンジェを良く想像していたんですよ・・・
高等学校を卒業して 浪人している渦中に 演技者になってしまったので、これからも そこそこの男が 皆 経験するであろう 職場生活の哀歓や ささやかな楽しみみたいな 感情が感じられないためでもあります。

物心がつくころから 僕は大学を卒業して 職場に通い 結婚して、仲睦まじく 家庭を整え、その中で素朴な幸福を味わいながら生きると 良く想像したものでした。
勿論 もう少し 歳を取って 経験が積まれて、素敵な建築家になるという 遠大な夢も しばしば 見ます。
そして 愛する女性と結婚した後、またしても 妻より もっと 愛する女性に巡り会ってしまい、案の定 どうしたもんかと 思い悩み 損害をたっぷり被った なんてことも!

今から 僕の想像を具体化してみる計画です。
ありふれた 恋愛小説だと考えたとしても、小説に挑戦してみた 僕の 全精神を高く買って下さることを望みます。
僕が このように言う理由は 全体15章中  2章が一番苦しかったからです。
余りに 苦しい 小説の一編に苛立って、何月も 寝込むという 作家たちの言葉を 心から 信じられる 今日この頃です。


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駄釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/29(Sun)

夢Ⅲ カッコ良く 老いたい

僕は 今のところは「怖いものなし」20代 序盤の青年です。
大人達は 僕の年齢を指して「砂利を 噛んで 消化してしまう年齢で、人生の黄金期」だと 言います。
そこで・・だけどねぇ~ 長らく噛んで 食べて 消化させる 自分が居ても、今 自分が 人生の黄金期に来ているかどうかは いまだ 解らない。
今が 黄金期だとしたら 僕が 30代になって、40代になった時に、今より つまらなくて 価値がない生活をしているのでしょうか?

こんな考えに 影響されて 僕の心は 逼迫してしまった。
もっと 歳をとる前に 何かをしなければならないのか? カッコ良く 老いるために・・・
心はもどかしくても 何も出来ないほど 憂鬱でした。
小さな事も 計画する事が出来なかった。
今 僕がしている 全ての事を全部消しさって、また 違う何かを探しに移ったとしても 同じこと。
食欲不振、倦怠感、嫌悪感等で 僕は 病気に罹っていた。

僕は とても ゆっくりと そして 落ち着いて、自分に 与えられた 黄金期を 送ることにした。
よりいっそう カッコ良い 黄昏期の為なんですけどね。
僕は カッコ良く 老いたいんです。

何故 歳をとる程 素敵な人が 周辺に 居なくなるのか?
自分の顔に 責任滲ませ 30代を超え、外見から 話し方まで 知性と余裕、自信に満ち溢れた人なんですよ・・僕はそんな人になりたい。
若年寄りみたいなんですが、僕は 罰を受けるより カッコ良く老いる 練習をしているってことなんです。
海外進出をすることは 僕の計画では カッコ良い老人 イ・ジョンジェの為の計画の一部分に過ぎない。

或る 井戸を掘る人(全力を尽くす人の意?)には、男どもが 知らない 達人の境地が 感じられるんです。
僕は 表情と ジェスチャー、クローズアップ等で 演技の全ての部分に イ・ジョンジェを 植えつける・・・口のきけない人にも、耳の聞こえない人にも、盲人の人にも 喜怒哀楽を感じて欲しかった。

僕は 最近 人が何かを放棄することは 自分の視野を ひときわ 更に 広く見るようになる 重要な要素になることに気付いた。
僕は 多くの事を 放棄することにした。
ギリシャの石膏像のような顔立ちの整った俳優は イヤだ!
だからと言って 洞の おじさんみたいな お気楽な俳優も イヤだ!
かと言って 必ずしも 何かになりたいというのとも 違う!

単に 僕は 僕のままの考えと 僕のままの 演技でもって、ファンの心の中に イ・ジョンジェの全てを 注いであげたいだけです。
その日・・・後ろを振り帰った時、また 違う イ・ジョンジェが この場所に居ることを 心から期待する・・・


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悶々釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/26(Thu)

夢Ⅱ 海外に 進出したい!

「I am Tom, You are Jane, I am student, I am fain thanks, and you ?」
中学校に 入学し やっと 学んだ英語の授業を回想してみた。
国語と算数が得意だった子供が 生まれて初めて、外国語を体系的に勉強する時の 気分を 言葉で表現したら、とっても うっとりとすること かな。
派手な文章を 一つ一つ 話しかけたり
「これだけ 暗記すれば 字幕なしの外国映画も 心ゆくまで見る事が出来て、外国の歌も 十分 理解 出来るんじゃないかなぁ~」と 期待して、カマ鼻(鷲鼻?)の英語の先生さえ 西洋人形みたいに 見えたんだけど~

僕がいきなりこんな話をする理由の一つは 防衛入隊以後 始めた 英会話の勉強の所為です。
グローバル時代の 先頭に立つため?
英語勉強に熱を挙げていた僕は 流行の言葉も 冗談でなく 言えてました。
防衛服務 跡取り息子たちは 知ってのとおり 出退勤さえ 自由ではありません。
急に 訓練命令が落とされれば 万事休す。
国家の為に 忠誠を尽くさねばならない 仕事の為に 時間を決めて 英語学院に通うことは 不可能でした。
そこで、先生の家に訪問して英語を教えて貰いました。
初めての授業は 僕の英語の実力テストのカリキュラムが 在ったんですがぁ^^^^
テスト結果は 中学の課程から 再び 学ばなければならないと 結果が出ました。
とても 恥ずかしくて 放棄しようとも考えもしたが、それで 他に行って もう一度 赤っ恥を掻くんだったらと 考えなおし 一生懸命やろうと 心に決めました。

初めての 会話は 自己紹介 「I am Tom」水準でした。
それで 中学時代考えてた・・・・今の 英語の先生は 中学時代の先生のように 神秘的に見えないし、可愛いとも言えない。
むしろ 勉強できない学生を 可哀相にと 相手をする 辛い先生に すぎない(?)
僕が英語の勉強をする理由は これから 海外進出する 夢があるためでした。

その1回目 作業は 外国人留学生が 現地で経験した生活の哀感を込めた映画に 出演することでした。
この 映画は 僕が入隊する以前から計画があったんです。
映画は 外国生活に対して 漠然とした憧れだけで留学した 一人の若者から 出発します。
彼は 始め 外国に進出した 嬉しさだけで 多くの時間を 消費したりして 過ごしていたが、と 同時に 韓国という国に対して無視されていると 感じて行くのです。
この中で 彼は 人生の新しい価値を体得して、世界の中で韓国の若者の 野心と、優れた機智を発揮していく・・・
未だ 完璧なシナリオが出た状態ではなかったのですが、話だけ 聞いても血が騒ぐ映画なので 期待が大きかった。

この映画が 終わったら外国映画社の企画した映画に出たかった。
その中で 先進国の映画の世界も経験して、所謂 良く知られた 外国俳優と堂々と張り合う事が 僕の計画だったんです。
今のところ 計画段階ではないが、何事にも 一生懸命やる僕に 打ち勝つ 手段が在ることを望んだ。
馴染みの場所で 人気を食べて生きる 芸能人である 職業ほど、一生懸命やって 食えない職業も無いな と しばしば 感じる僕としては 少しばかり 気遅れも生じた。

普段 親しくしている タレント キムOO先輩の話を 聞いてください・・・
キム先輩は 誰から見ても 何事にも 最善を尽くす 屈指の人です。
夏が過ぎた頃のことです。
「ジョンジェ^^^^^久しぶりに 酒でも飲もう!」
僕は 映画 TV出演で とても忙しくて 余分な 仲間入り等 抜かしながら生活している時だった。
出来れば 断りたかったが・・・僕が どんな 不平をぶちまけても、その上 誰かの 悪口を言ったり 憎んだりしても、僕を 説得して 世の中は生きるに楽しい所だ と 気付かせてくれて 悪口を言った人も また 好きにさせてくれた人だから 僕は 会いに行こうとした。
勿論 好きな人だったし、彼が 先輩で断るなんて・・・
約束の場所に出かけた僕は キム先輩の深刻な顔を見て とても ビックリした、普段はこんな表情をする 先輩でなかったから・・
「こんにちは! もう いらしてたんですか」
「ああ~ 座れよ さぁ~ 一杯やろう」
先輩の表情にビックリして ぐずぐずしていたら 先輩は 杯を 受けろと言いながら 僕の 表情を無視した。
「えぇ^^^^ところで 先輩 何か あったんですか?」
「ないよ! 若い君を前にして 何を 言えって? ただ ゆっくりと 会いたかったんだ」
「えっ! 何か言ってくださいよ^^^ 先輩が 来いというから 来たんですよ」
「オイ! 最近 すごく忙しそうだね 疲れてんじゃないのか?」
「疲れてますよ^^^お世話して頂いて ありがとうございます」
「お世話・・? 幸せなんだろう・・」
僕は もう これ以上 言葉をかけれなかった。
何日か前に 自分を主人公に起用する約束をしたPDから、キム先輩の演技が弱いので 他の人を 起用したという 通報を貰っていた。
僕が知らない向こう側の話だったけど 多分 この所為だと 推量した。
キム先輩は 既に 多くの人に 努力する人だと印象を与える演技者でした。
それでも 先輩にはめったに 大きな配役が与えられたり、人気が大きく上がったりは しませんでした。
キム先輩は 時々 自分が要領がわるいから このような 在り様だと ぶちまけました。
生意気なようですが僕が思うに キム先輩は ひたすら 演技だけを愛するしかない 演技者で まこと 羨ましい 先輩なんです。

先輩の同期に いつも 先輩と比較対象に挙がる先輩がいました。
この二人が 新米俳優の時の話です。
二人 共に 配役が与えられて、キム先輩は 誰が 見ようと 片隅に座って そこで 4つ程の 台詞を100回、1000回と練習した。
もう一人の先輩は このドラマの作家の隣家に引っ越しまでして、毎日 一緒に 退勤して、退勤後は作家の家に遊びに行って 深い親交を重ねた。
時が過ぎる程 ドラマに占める二人の出演回数は 一目でわかる程 差異が出てしまった。
この話を 聞かせてくれた 先輩はこんな言葉を残した。
「作家や PDに 自分を知らせる作業も演技者には重要な事だ、そうでなければ 自分のキャラクターに合う 配役に及ばなかったりして、自己PRが キャラクターを 十分 生かすことなんですよ」

キム先輩と同じ境遇は 芸能界では良く見られることです。
昨日まで 自分が 主人公として 知られていたのに、次に 知るのは 自分の名前が 全く忘れ去られ 自分のライバルがこの席で祝福を受けているのです。
芸能人の人気が 一日違いで 取り替わるように、ドラマの配役も このように 変わります。
それだから 演技者のハッキリとした性格を 要するドラマでは、 配役争いが 熾烈なばかりでなく、配役を決定する 作家や PDも 神経を尖らしているのです。
主人公は 勿論 演技者 一名に対して このドラマの 性格と 視聴率が180度違わないためです(?)

俳優として僕の夢は 1番目  どの配役が与えられようと 関係者から「ジョンジェに任せたら 上手くやる」と 信頼を受ける事と、イ・ジョンジェだけが成し遂げる演技力だと 認定されることが 2番目の夢です。
それだから 単に 大作にだけ 出演するだけでなく・・
「そうだ! あの 演技は イ・ジョンジェの演技だ!」と 評価を受けたい。

僕が海外に進出しようとする努力も 夢を成す上での 大きな 最初の 踏み台です。
これからも もの凄い 努力をします。
見守られるだけでなく、時々は 怒られて、時々は 激励を頂いたなら
僕は 大きな 力 を 得ることができるのです!





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乱釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/22(Sun)

夢Ⅰ  ジョンジェの夢
ジョンジェ・・・大きくなったら 何がしたい?
小学校の時 考えた。
僕の記憶では 4年生の始め、とてもよく晴れた日・・・春は まだだった。
新学期が始まると 決まって 嫌な 行事があった。
先生達が 生徒を 一一人づつ 前に 出して、 将来の希望を 聞くことだった。
「ジョンジェ君、 君は 大きくなったら どんな人に なりたいですか?」
「う~ん^^^^^^^^」
心の中に 考えていた 僕の 夢は あり過ぎて 口に出せなかった。
暫く 黙って 考えていたら、とうとう 先生は 将来の夢は 次の機会に 聞きますと告げ、 僕は 教壇から降りた。

僕の小学校時代の 将来の夢は 言葉通り 「夢」でした。
宇宙が 背景のTVマンガを見ると 「宇宙飛行士」、化学の先生がカッコ良いと 「科学者」、可愛い女の先生を見ると 「先生」、両親と一緒にTVニュースを見た日は 「大統領」、洞の スーパーマーケットの おじさんが 大変そうだと 「社長」、毎度 夢が変化して・・・・僕の記憶には 無いのですが将来の夢は 「山賊の大将」と言ったと 両親から聞かされた。
夢見るたびに 素敵に見えた 将来を左右する職業の どれかを 受け入れるであろうと 考えていた。
今考えると・・・幼いジョンジェは 主観がないと 評価するしかないのですが・・・・良く言えば 好奇心が旺盛で やりたいことが 沢山ある 子供だったようです。

これまでに 僕の心の深い部分に 大切に入れられていた夢は 建築家です。
具体的に夢の為に努力した時代は 浪人時代でした。
おぼろげに 「絶対 建築家になるのだぁ~」と 心に 抱いたのは 中学時代でした。
僕が チョンダム中学3年生の時、家はサムソンドンに在りました。
当時 サムソンドンから チョンダム中学に 行き来する 四つ角には 数日おきに 新しい建物が 生まれてました。

あれは 夏の始まる頃でした。
偶然 工事現場を 通り過ぎながら、学校に通っていました。
工事現場の 下は 決まって 喧しく、埃が ひらひらと 飛んでました。
あの朝は 休憩時間で 人夫達が 集まって マッコリを飲んでいて、人夫達の 話声を 容易に 聞くことができた。
面白い おじさん達の笑い声と、マッコリを下に置く声に 混じって「オ~イ・・・イさん!! その位で 降りて来て マッコリ 一碗 飲めよ~ 早く来いよ~」
「ハ~イ・・直ぐ 降りますよ~」
大きな 荷を背負った イおじさんは レンガを運ぶ 人でした。
白色だったであろうシャツと 首に手拭いを巻き付けた このおじさんは 木で作った背嚢を背負って、手拭いで 肩を叩きながら 白い粉を撒き散らしながら 白くなった顔で 笑った。
「最近は チョット 重い物を 持っただけで 肩が痛むよ、以前は こんな事 無かったんだよ」
道端の 工事をする場所の近くから この場面を目撃した僕は、イおじさんの明るい笑い声に「存分」驚いた。
工事人夫とは「力 仕事」だと知り 男達が最後に選択する職業だなぁ~
一日の稼ぎで、一日を食べ、 痛みは 実際 貧しい人達だけだと 考えていた 当時の僕は おじさんの明るい笑いを、すんなりと 理解するのに 苦労した。
けれども イおじさんの顔に 貧しさなど探せなかった。
むしろ やり甲斐と誇りに満ちた「現場の働き手」の 微笑みが見えた。
この イおじさんの微笑みが気持ち良くて、密かに 僕は建物を 建てる仕事に従事したいと 考えた。

建築家の夢は イおじさんとの 面白い因縁により始まった。
とても暑い夏だった・・・夏休みの間に 登校日が在って 好奇心がある 仲間と この工事現場に向かって 大手を振って歩いていた。
「ヨォ~・・あの車見て! カッコいいよなぁ~・・ジョンジェ! あの車 チョット 見ろよ!」
「どこ?」
まさにこの時 ピカピカした 黒のセダンが僕の前に止まり、車の中から 目が眩しくなる位 真っ白のワイシャツと ブルー色のネクタイをした紳士が 最初に降りてきました。
彼は無言で クルクル巻いたとても大きい紙の束を持ち 工事現場に向かった。
工事現場は ざわつき始め、黒のセダンの紳士は紙の束を広げて、工事関係者と機密な話を分け合っているようだった。
衝撃を受けた場面は、この紳士が イおじさんを呼んで何か指示をして、おじさんは 特有の笑顔で笑い、紳士はおじさんの肩を ボキボキ叩きながら 激励をした。

夏休みが終わって ここを 通ったら、工事現場はきれいに消え去って、外国の雑誌に出るような、豪華な建物が まるで 僕を待っていたかのように建っていた。
僕はこの時 急に  イおじさんを思い出し、おじさんが可哀相になって、酷い勘定(計算)をした。
「同じく与えられた時間の中で ある人は 何者か(建築家)になり、 ある人は何かをする人に(工事人夫)なるのか?」
同じ時間の間、同じ 苦労をしたはずなのに・・・・
この建物に対する 愛情も似ているはずなのに・・・・
結局、イおじさんは 肩が痛くなるほど担いで運んだレンガの量のお金が・・・・
工事現場であれ 紳士は小さい文明を創造し やりがいと 名誉が残ったのではないか?
多くの考えが 僕を悩ました。

幼いながら 成功しそうに見えた 建築家を 羨んだ。
自分の好きな仕事が出来て、この職業で 名誉と富を蓄積することに 誘われたのだが、有能な一人の建築家によって、新しい 小さな文明を 創造した事を とても 羨んだ。
以後・・・高等学校に入学して・・出て 始めて「吾々の父も キット このような仕事に従事しているのだなぁ~」という事を 知ることになった。
父の職業に対して 具体的な絵を描け・・・父の血を受けついた僕は とても 幸せだ。
僕は いまだ 夢を 見ている。





  1. 僕は英国紳士だった
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ジョンジェ 公式 4月下旬 オープンヽ(^o^)丿 :: 2009/03/21(Sat)

☆応募して ファンの 存在をアピール しませんか?
会員ナンバー 一桁は無理でも 出来れば 2桁が 欲しいですグー
ジョンジェ デザインとなると・・・オッサレな HPになりますね。
そろそろ ファンミの時の シート番号入り写真が 送られる頃かしら・・・・
公式オープン記念に サプライズは 無理かなぁ~ 「トリプル」の撮影の 真っ最中☆

=「イ・ジョンジェを知る為の10の質問」と題して
皆さんからの「プロフィールに関する」質問を募集したいと思います。
(例「好きな色は?」or「好きな日本食は?」など)
皆様からの質問を通して、より深く、より広く、イ・ジョンジェの魅力に迫ります!

下記の要項をご確認のうえ、イ・ジョンジェへの質問をお送り下さい。
・質問
・お名前(ペンネーム)

◇宛先 オフィスマレン イ・ジョンジェプロフィール用質問係宛
メール:officemullen@mbn.nifty.com
メールの場合の件名を「イ・ジョンジェプロフィール用質問」とご記入ください=




  1. ジョンジェの映画
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驚釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/20(Fri)

=イ・ジョンジェのように 服を着て=

僕の 筋肉は どの服にも 良く 消化してる これが 一番の 秘訣です。
そして 僕の筋肉は 僕だけの為に 存在しているのです。
誰も 僕のような筋肉は 創れない、 偉そうな 振りをしているのではなくて、誰でも 自分に 似合う筋肉の 発達を やるべきで、筋肉を 維持することが 大事なのです。
その為には スポーツジムのような 専門機関に 行って相談するのも 良いです。

最近 イ・ジョンジェのように 服を着る 幾つかの 秘訣を 公開しました。
近頃は ユニセックス時代だから 女性達にも おおいに 参考に出来ると 信じます。

1番目、 服の プロになるのは 辞めよう。
これは どんなに 無条件に服が たくさん あっても お洒落が 出来るとは 限らないという事。
本当に お洒落な人は シーズン毎に 3~4セットの 服だけで 充分です。
この服ならば 自分を表現するのに 最高だと 考えられる服を 何着か 所持していれば、服同士で 幾らでも コーディネイトが 可能だからです。

2番目、 色彩の プロになるのは 辞めよう。
この言葉の 本当の 意味は、自分に 似合う色を 限定するのを 辞めて、いろいろな 色合いに 挑戦するということです。
色合いを 見出すと、知らなかった 新しい自分の再生と イメージを浮き彫りにする事が 出来ます。

3番目、デザインを 極度に 単純化した 服を 着よう
けばけばしい デザインは 個性の無い人たちの 物です。
限りなく 単純化したデザインの服は 洗練美と 知性美を 充足してくれる。
特に 重ね着の場合 このような スタイルの服は 最高に 粋な 表現をします。

4番目、4色以上の 色合いは 避けよう
全体的に 4色以上の 色合いで 着たら・・野暮の 極値です。
一言でいえば ファッションに対する 危険信号です。
仮に 4色以上の 色合いを 着たいなら・・・似たり寄ったりの トーンを 選択します。
例を挙げると・・赤いズボンを 履いたら、上着は インディアンピンク(?)を着て、
カーディガンのような物は ズボンと 違う 色を着ること。
この場合 僕なら 黒の カーディガンを 薦めます。
終わりに まったく 僕の 趣向なのですが・・濃い トーンの 色が好きです。
濃い ベージュ、 濃い カーキ、 黒 など、

僕は「美しい 男」と 書いた 某 化粧品の 鼻血文句(?)が 大好きです。
それだから 街角の イヤリング男、派手ハデ服とアクセサリーの おめかし男、メイクアップをした男が 好いなぁ~と いうのでなく、男にも 美しさへの 本質への 権利があるという ところが好きなのです。

僅かな香水と 自分だけの 香りを持ちながら、古いものから 新しいものまで 何度も うんざりするくらい 着こなして、今日は 昨日と 違う 装いで・・・
どうせなら 埃にまみれた空間で 濃い エスプレッソを 片手に 笑いながら 飲むことのできる男、こんな 男の姿に なりたい。

自分を 表現すること自体が 男らしくないと 考える 既成概念に、僕らは 否 違うと 考えた。
単純に カッコ良い カッコ悪いと 分類するには 僕らは 余りに 個性的だ。
自分の感覚や気分、個性的な服と 香りを演出する術を知っている 僕ら世代の 特性を知っていますか?

デザイナーのコレクトを 明確に 感じさせる 作品性が 際立つ 服を 堂々と 着こなす 美しい男、
服だけでなく 内面の美しさが 滲み出る 堂々とした 表現・・・僕は このような 美しさを 望む。



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笑釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/20(Fri)

=僕は 筋肉を 愛する=

僕は 筋肉を 愛したのに・・・暫く 忙しい時期が 続き 腹立たしい事が 多く 在った。
いつからか 一日に 2.3時間寝たら 多いくらいで、 衰弱するほど 忙しかった時期、体重が 一気に 4キロ 減ってしまったことがあった。
僕の 愛する 筋肉を 検討してみた。
まるで 僕を 嘲るように コブを かくして 顔も 見せてくれない 筋肉に 憎しみさえ感じた。
そこで 掴んだのはバーベルだ!
しかし 1分の時間にも 力 が 切れ始め・・・ベットに 倒れ 横になった僕は
「今は 運動する 力 もなく、筋肉も ギュウ ギュウと 喘いでいる・・・・」
世間に 生きる 多くの人のように 嘆きながら 眠りについた。

ある日の夜、 鏡の前で 筋肉の 検査をしていたら・・・母が 訪ねてきた。
「この子ったら・・ 一体 何しているの?  寝てるんじゃないの? 少ししたら 出かけなければ ならないのに・・・・」
「お母さん!  力 コブが 全部 無くなっちゃたんだよ~  腹が立つ!」
「そうなの・・いつものように 良く食べて 出かけなければ 駄目よ、 沢山 強壮剤飲んでも 食べなかったら お母さんも 腹が立つ!」

世の母親は 筋肉は ご飯を食べて、 強壮剤(養薬)を飲んで 出来るものだと 信じているようだ。
そして 筋肉に 腹を立てている 僕の 心情より、 息子が 定刻に ご飯を食べずに 出かける事に 腹を立てている 母でした。
落とした肩で 僕の部屋を出て行く 母の 後ろ姿を 見送りながら 僕は こんな事を 誓った。
「お母さん・・・今度は ちゃんとやるからね・・・両親が 気に入る 好い 嫁さんと 結婚するよ、そうなったら お母さんの 心配も 少しは 減ってくるよね」


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似非釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/18(Wed)

=ボディビルで 強化した 僕の 体形=

ボディビルで強化した僕のスタイルだけど・・ 最高の気分にしてくれて 口が枯れるほど 称賛もされた。
僕も 体を見るたび バッチリだと 感じたけど、断じて 良く見せるために 体を 強化したのでなく 健康のために 運動したに過ぎない。
身長 180センチ、体重 72キロの 体型を 維持するつもりで 努力した。
男としては 決して 小さい方でないのに 身長に比べると 胴が長く 脚の部分が 短い方だと 気にしていた
だけど 気にしても 仕方なく 人力 で 出来ないこともある。
しかし 凹んだ 心と 腕の コブは 僕の 努力で 克服できる 部分だから 一生懸命 努力した。
顔の中で 鼻が 低くて 不満だったとしても 手術を 受けようとは 決して 思わなかった。
おそらく 僕より 父の方がとんでもないことだと 言ったでしょう、幼い頃から 男子たるもの 男の 基本で考えろと 強調していたからね・・・。

僕の 身体の中で 一番 美しい部分は 横向きの 首の線(首筋)だと 叔父が言ったことがあった。
この発見が 僕が モデルになる きっかけに 等しかった。
アクジョン洞の 大きな カフェで アルバイトをしていたことがあった。
叔父が ファッション画報の仕事で、ヨソントンアン(会社名?)の キョ・スミ記者と 一緒に この店に 入ってきた。
「叔父さん・・・いらっしゃいませ・・何に なさいますか?」
「う~ん・・・ 俺は コーヒー ・・何にする?」
「私も・・・」
何を 話しているのか…しばらく ヒソヒソと 話していた。
二人は 急に 僕を じっと 見上げた・・・≪ななな・・・何なの?≫
僕は 叔父が キョ記者に 近所の 甥だと 紹介したからだと思った。
≪ちゃんと やれよ!  叔父の体面もあるんだから≫
2杯のコーヒーを 運びながら 男らしく 歩いて行った。
「こんにちは・・・甥です。 どうぞ 召し上がってください・・・」と言った。
横向きになった 僕に 叔父は 出し抜けに ビックリするような 提案をした。
「ジョンジェ!  おまえ モデルにならないか? 」
「ヒィヒィヒィ^^^^僕に^^^^ 何ぃ やれって?  出来ないョ^^^」
「何も 言わないで 明後日 5時までに 叔父さんの 事務所に 来て・・」
その時、キョ記者に 斬新なモデルになれるか 判断を委ねていた 叔父の 視線が 僕を 掠めた。
立ち廻るのに 余念のなかった 僕は 「首のライン」(美しい首筋)を 見せるようにした。
見本デモで セクシーな姿などもして モデルとして 適格だと 判定された。

撮影は 寒い秋の 朝 野外で 強行された。
^^^^^^上半身だけ 脱ぐのは 叔父の 命令(?)
どんな 状態でも 出来ないことがないんだと サッサと 脱いだ 僕は、 時間が過ぎ去り、寒さが 募り 誰にも 見えない片隅で ブルブル 震えていた。
今もだが 当時 トップモデルで 鳴らしていた パクヨンソンさんの 撮影につきあい、独りで撮影する小さな作品に 起用されてはいたが、 撮影時間より 待っている時間が とても長く 生存できるかの 一歩手前でした。
「叔父さん!  今 僕が 何をしてるか 判んないの?」
「こいつ! 立って、回って 見せて おかねを稼いで、雑誌に 写真も 載って 好いじゃないか!」
「僕は 別に・・・・
くだらない言い訳で、僕に 塀を巡らした 叔父の為には もう 二度と 仕事などしない!」背中に 言葉を 投げつけた。
「魂に 羽根を付けるところだった」 後に 叔父は 語った!

僕が あちら側に立っている時、 アングルを覗いていたカメラマンの所へ 歩み寄った叔父に  『一度 見てみる?』 と言われ??
叔父は 自分も 写真については 一見識があるから等と?? 覗いてみたら  其処にいたのは 「僕」だった(叔父は 違うと 言うのだが)
こいつは 明らかに 顔の骨が出ている モンゴリアン(蒙古人?)なのにぃ・・・貴族と 同様な 雰囲気が 漂ってる。
この時・・僕を 煌びやかな モデルにする 計画を 立て始めたに 違いない。

モンゴリアンな 西洋貴族の 僕の頭の中は 「寒くて 死にそうだぁ~ 一体 何で こんな事をしてるんだよ~^^^^」と 考えるだけだった。

これを 契機に 僕を モデルの 道に 入れてくれた叔父は、画報を キムホソン監督に見せて 「アダムが 目に浮かぶ」という 映画の 予備に抜擢されたが チジェソン先輩が そのポストに 入り・・・
僕の 後ろで 叔父は 最高の俳優創りを目指して、その 布石を 雑誌欄に 流布し始めた。

「ジョンジェ^^^これからは トップモデルとだけとの 撮影をしろよ、 彼らと 一緒に 仕事をしながら、 トップの 根性を学べよ!  トップとは 誰も 及ばない 別の 人達のことだよ」
後に 僕は  トップクラスのモデル達と 撮影したり、 トップタレント達との 仕事を 広めていった。
叔父が 強調したかったのは トップの根性とは 真にベストを尽くす姿であり、徹底した 自己管理だと 僕は思った。

どんなに 疲れていても 化粧をきれいに落とし、マッサージもして・・・どんなにとは・・・肌に 一番 有益な時間である 夜10時から 真夜中2時までには、 なるべく 寝床に入る・・女性モデルの 基礎的な自己管理から 笑いを 失わないようにする まで・・・・・・・引き受けた作品の為に ベストの 努力を 惜しまない姿・・・本当に 素晴らしい 手本で 彼らから学びたかった。
この時から 体型 強化に さらに 努力を 傾けた。

なんせ 運動オタクだから 一度始めたら 3.4時間 過ぎたのも 解らず、運動しまくったので この時から 規則的に 時間を決めて運動した。
偏平足だから 長く歩いたり 走ったりは 出来なくて、テニスや ジョギングは やりたくても 出来なかった。
だけど ボディビルと 重量挙げ、バーベル等は 幾らでも 出来た。
こんな風に 運動に専念して 上半身が 発達しても 暇があると バーベルを入れて 30~40分位の 運動をしてしまう。
一日でも 僕のような スタイルを育てたい人がいたら、ボデイビルとバーベルに 励んでください。
何よりも 好きな事は、 朝早く 起きて ジョギングをする、 長く 走ることと テニスをすることです。

僕の体力は 本当に 凄いです。
特に 腕力に関しては 自信があって、一日だけでも 国内に 腕相撲に 野球選手のような規定があったら・・・僕は 腕相撲選手になる 自信があります
僕の 腕相撲の実力は 申し分なくて これを 示す 有名な エピソードが 紹介されてます。

僕が TVに デヴューする 以前のことです。
叔父の家には 名前だけ知っている 芸能人達と 関係者が 良く集まって こじんまりとしたパーティをしたりしてました。
この日も いろんな人々が 集まっていました。
「チャンスンファ! お前は 運動部の 選手だったよなぁ~ ジョンジェと 腕相撲を やってみないかい?」
叔父の提案に 笑いをこらえた 表情のスンファ兄は 「イヤぁ~ 兄さん こんな若い子と 腕相撲 比べを するのかい?」
「若いことは 比べなくとも わかるって・・   ここで 一回 やってみろよ!」
じっと 座っていた僕は 率直に 負けるかも知れないと 考えながら 右腕に 力 を 入れた。
スンファ兄は 背丈は 小さい方だが、体の 筋肉は アーノルドシュワルツネッガーの 次だった。
「良いよ^^^^^^ ここで やろう」
「ラジャー・・・・ジャー・・・ジャー・・」
結論は 僕の 勝利だった。
叔父を除いて この場にいた 誰もが スンファ兄の 楽勝を予想していた筈で、皆は 驚いて 口を閉じれなかった。
僕は 気分が良かった。
何日か後、 スンファ兄は =現代版イムカクジョン(歴史上の人物)と別名の付いた後輩(ジョンジェの事)=と一緒に登場した。

「ジョンジェ 早く起きろ!  もう 1回 腕相撲を やろう、今度は 俺が 負かす・・・友達も 勝つって言ってるから・・・」
イムカクジョンの誇りを 時間と共に 忘れてしまった スンファ兄は、初盤で 僕の 気を へし折ろうと 秘かに 考えたようだった。
それで 僕が 消極的になったのは スンファ兄と 腕相撲した後に 手首が ズキズキとした 記憶が 浮かび 心配になってきたからだ。
男達は 皆 こんな 動物なんです。
女性に対して 人気を 一人占めしたい心理と同じで、他の 男性と張り合い 勝ちたいのが 動物的本性です。

「ジョンジェ! 今度 俺が 勝ったら イタリー製 スキー服一式を プレゼントして」
ただで スキー服を 手に入れるのに夢中だったが、万一 僕が 負けたら 何たる 恥さらし!
横には 女性達が イッパイ 居るんですよ~
「うぅぅぅううう・・・・・ラジャー^^^^^^^^」
僕は 勝った!
そして カッコ良い スキー服一式が 現われた!






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偽釈「僕は 英国紳士だった」 :: 2009/03/17(Tue)

=ジョンジェルックが 有る理由=

いつ頃からか 女性雑誌と 新聞のファッション欄に 「イジョンジェルック」という 新種用語が 現れた。
聞くのも 恥ずかしいこの単語を
「僕の ファッションが 先頭を歩いたのは 僕が 服を 良く 着こなしたからだ」と 大胆な 評価をしても 構わないんですがぁ^^^^

昨年は 世界的に「復古調」が 大きく 流行しました。
今年は 復古風の 残滓が残る わが国で、 このファッションは 当分 好きな人の間で 見られるでしょう。
ジョンジェルックが 発生した当時は 韓国は 一様に 復古調ファッションに 覆われていました。
僕もまた この影響を受けて ゆったり(ダブダブ)とした 開襟シャツに 明るい感じの ネクタイを演出、開襟シャツの 一番上のボタンを かけてAラインに(?)着るという カッコの良さを 満喫してました。
この 姿を見て 気に入ったのか・・・多くの 視聴者が 僕のように 服を 着始めました。
アックジョンでは 最初から 「イジョンジェ ネクタイを 売ります!」という ファッション店まで 出現しました。

ジョンジェルックに 関する エピソード
ドラマ「フィーリング」に 出演した当時、何気ない ゆったりとした(ダブダブ)シャツと ジーパンを 履いて出ました。
この時 動きが とても 大きかったのか・・・シャツの 後ろの部分が ズボンの外に 出てしまった。
視聴者達が 見て・・この姿が 素敵に見えたのか? この時から 男女の 区別なく シャツの前部分を ズボンの中に入れて、後ろの部分を 出して 着るのが 流行のように 広がった。

「ジョンジェルック」の 名前だけど^^^^
一つには ファッションテーマになってしまった「ジョンジェルック」という 単語は 嬉しくなかった。
嫌だったのは 自分の好きなスターが 着るというだけで 無条件で従うのが 嫌だった。
人は 誰でも 自分だけの色彩と スタイルが 在って、服を 選び 着て 場所や 目的に 従って 変化するものなのにも 拘わらず、個性が無い人のように 振る舞うのが 嫌だった。

ジョンジェルックが 真っ盛りの頃^^^
放送局ロビーで 知り合いのスポーツ記者が 一言 放つ!
「オ~イィ~ ジョンジェ 久し振り! とんでもなく 忙しそうだよなぁ~
ところで 最近 ジョンジェルックとかが 流行っているだって・・それって 一体全体 どんなスタイを 言うんだい?
甥の奴が 飛び付いて これについて 詳しく 聞いてくれって 大騒ぎなんだよ!」

気分は 良くもあったが 先ずは 個性を 捜すことが 重要だと 考えた。
「長いこと 似合わないと考えたり 躊躇っていた 色を 捜して 着て見てください!
そして 誰かの デザインでない 単純な服で お洒落をしてみてください」
これが 僕の やり方です。

僕の 装いが 特別なのは 私に 似合っている 何かを 研究して、 明確な 僕の スタイルを 捜したからです。
僕は 僕の 色彩を 捜す 一つの方法として ゆるい服を選択しました。
シャツも ズボンも サイズが 大きいものを 着ました。
シャツは なるべくなら ボタンを 全部 かけないで、 何個か 外しました。
ズボンは緩い感じのままで 裾に行くほど 広く・・・次に 太いベルトは 腰に合う サイズを 捜しました。

「若い男」で見せた 締まった体に ピッタリと くっついた Tシャツと ダブダブ(ゆるい)ズボン、腰を ギュっと 絞った スタイルは これ以後 多くの 芸能人が 好んで 着る スタイルに なって、
僕は またしても ファッションの 先頭ランナーに なってしまった。

この事が 全て ユンス叔父の 巧みな 計画ではなかった と 思いたい。
ユンス叔父は 僕の個性を考えて、出演する プログラムを分析して、服を コーディネイトしてくれたが、そこに 違う 僕を 付加するのに 2つの 香水を持って 通った。
ジャンポール・ゴルチェと カルティェ(?)の 香水だ。
ゴルチェエの 香水は やや タフな装いの時に 振りまいて、カルティエは フォーマルな 装いの時 良く 使った。

特に 帽子が好きな 僕は、あちこち 旅行しながら 集めた帽子だけでも 50個を 超える。
撮影が終わった帰り道や、 夜 出かける時に 必ず被らないと 全ては 被れない。
可能になったら・・・服に 併せて 全部の 帽子を被ってみる 計画だ!


 

  1. 僕は英国紳士だった
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「トリプル」撮影開始・・・始まった^^^^ :: 2009/03/17(Tue)

【イ・ジョンジェ 新ドラマ!】 オフィスマレン記事より
イ・ジョンジェが話題の新ドラマ「トリプル」の撮影に入りました!

日本のファンミーティングが終わった後、このドラマへの出演が決まり
ドラマの準備を着実にしてきたイ・ジョンジェ。
15日日曜日より撮影が開始されました!

忙しい撮影の合間に日本FC設立に向けての準備もイ・ジョンジェ自らしております
HPオープンおよびファンクラブ情報も追って発表いたしますので
こちらも楽しみにお待ちください=

3月・・・4月は・・・別れと出会いの季節かな・・・どんな ジョンジェに 出会えるのか 6月の 放送までに 待ちきれない 想いで 一杯です。


  1. ジョンジェにかんする事
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奇釈「僕は英国紳士だった」 :: 2009/03/16(Mon)

=服に 無関心な ファッションモデル=
僕は 身近にいる人達から「着こなし上手な男」と 言われていた。
時には 彼らから イ・ジョンジェのように 着こなす方法について、僕の 考えが 及ばないような 注文を 受けることもあった。
しかし 僕は 着こなし上手な男でないと 肝に銘じて 置くことを 願った。
単に 自然に着るのが 僕の着こなし上手の方法と言うなら これが 方法である。

叔父と一緒に 旅行 兼 PR用 プロマイドを制作する為、パリ・ ニース・ モナコ 等に 旅発った 時があった。
世界的有名ブランドが 全てある シャンゼリゼ通りに 到着した 僕らは、ファッション店を 歩きまわりながら 服を 見物 し始めました。
叔父は・・・叔父の表現だと 「気がおかしい ファッションデザイナー じゃないかぁ~ ウワァ~ カッコ 悪かない? ジョンジェ・・」
「・・・・  ・・・」
「マダム!これ 下さい 、あれも 下さい、 これも 見せて、あれも チョット 見せてください、 そして あちらのも・・・」
目にする 何もかも 被るかのように この服、 あの服、 先進国のファッション感覚を 身につけるのに忙しい。
そ~して 服を あれこれ 選んだのだが 持ちだせなかったという事だ。

保護者の資格で 僕を連れて 発った 叔父は、持出し行方不明物になる事を 知り、うろたえてしまったのでした。
その時 僕は たいした 関心も覚えず、店の外に しゃがみ込んで タバコを 吸っている 最中でした。

帰りの 飛行機の中で 叔父は 僕に こんな話を しました。
「お前^^^ 持ちだしは 難しかったのかい? それとも お金が無かったのかい? それとも 本当に 服に 関心がなかったとか?」
「何の話?」
「パリで 何でぇ~ 店の外に しゃがんで 居たのか・・言ってみろよ こいつ!」
「難しかったこと!  お金が ないこと!  服に 関心がないこと! 3つとも 当ってるよ!」

ふいに 僕の頭を 撫でた 叔父は、鞄から 何かを するりと 取り出して 僕に くれた・・服だった!
この服は あたかも 僕の心を 読んでいたかのように 僕に 似合っていて、 体にも 間違いなく 合っていた。

芸能界に デビューして 特別に コーディネイトを 付けたとか、服に 神経を使わないのに 着こなし上手な男 だという 噂が出た 理由の 70パーセントは 叔父によってです。
時々 叔父が着ている服の中で 気に入るものがあった。
そんな時は 「叔父さん これ ナアニ?」 「叔父さん これ ナアニ?」
しきりに 撫でまくって 2回だけ 聞いてみると 「判った!!!こいつ」と言いながら 作るみたいに 服を 脱いでくれた。

叔父に 従う・・・いや・・・叔父が コーディネイトした服を 着たり、 見たりして 僕の ファッションセンスの 程度が 成長したかどうかは わからない。
時々 僕は 一人で 服と アクセサリーを合わせて 着なければならない時があるが・・・
その度に、 服に関しては ややこしいので 有名な 叔父さんを 称賛します。

(原書を 購入していない事を 願って焦る3


  1. 僕は英国紳士だった
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怪釈「 僕は英国紳士だった」 :: 2009/03/14(Sat)

=お爺さんの 髭を 引っこ抜いてしまった 悪童=

「息子の トウガラシを チョット見て!」
「お母さん、 この写真 いつ撮った ものなの?」
「100日目かな?  百日目の お祝い膳を 用意しておいて、 次に 服を 全部脱がして 撮ったものなの、 あの頃は このように 撮るのが流行ったのよ」
「それでも 恥ずかしいよ・・ お母さん これ 男達には 絶対 見せないでよ!」 
プクプクした???を 振り挙げた 幼い僕を 僕が見るのは 好いんですが・・・
年の割に ませていると 言われる 今、公開などしたら 誰かに 見せてくれと 言われて 何と答えられるか・・・母に 念入りに頼みました。
勿論 母からは 「夕食の 配膳を してくれたら」と 丁重な 圧力を受けたんですが。

僕の 頭が良いのは 母と 合うんの 呼吸の 父との間に生まれた 最初の 男の子だからです。
時々 アルバムを 見たりして 両親は「私達に 子供は 二人だけ、もっと いたら お前に 神経を使わなかったのに、もっとも 末っ子は 可愛いいって 言うじゃない?」と 冗談を 言ったりもしました。
僕のアルバムは 高等学校までが 一区切りで 全部で 4冊あります。

一人息子であるためか 母は 細心の注意を 払ってくれました。
無論 所構わず 殴られたし、 やたら 走って 転んだりしたら 神経は 使いませんでしたが。
男の子は 一人で 大きく ほったらかしで 良いこともある。
母のこのような 考えを 父も 受け入れているようでした。

僕は 赤ん坊のころ 虚弱で 人見知りで 大人しかったことは 間違い無くて「純坊」? と言われて・・・どの位 か細かったかは 洞に住んでる人が 知っています。
両親が 多忙で まだ 歩けもしない 僕を家に置いて 外出しても 僕は 両親が 帰ってくるまで 寝かされたまま ブウブウ 言って 待っていて、 両親の顔を 見た途端、 愛らしく ほほえんで嬉しがったと 話してくれました。

そのように 少しづつ 大きくなり 言葉通り ワイルドになっていった。
長いこと やってきた あらゆる 悪事が いっぺんに 蘇る 記憶が 今だ ある。

洞(町内) 一番 髭の 長い お爺さんがいらした。
僕が 幼稚園に 通っていた頃 歯が 全部 抜けていたので、 多分 亡くなっているかもしれません。
「嗚呼~~ 男が こんなに 可愛らしく 生まれて、 何処で 使えばいいのか・・・」抱かれ、 あやされ、顔を 触られて、その隙に 僕は お爺さんの 髭を 引っ張り 曲げ折り 抜いてしまった。
幼かったから 良くないことと 知っていたかどうか?
白くなったり 青くなったりした お爺さんを見上げている 僕に お爺さんは 酒粕をくれた。
「ホホ~ こいつは 悪じゃないな・・・・お母さんの所に 行って、お爺さんの 髭を 抜いてしまった と 話しなさい!」
家に帰った僕は 母に そのまま話したら、母は 椅子を蹴飛ばし 立ち上がり、 お爺さんの 手を取り 足を取らんばかりに 詫びを請いました。
これ以後は お爺さんの顔を そのまま 見上げることはできませんでした。

母から 特注の 洋服を 着せてもらった日
お爺さんは 通り過ぎる 僕を 手招きしながら 
「ジョンジェ こっちへ 来い、 今から 何処へ行くのかな?」
「お母さんの お使いです」
「お母さんの お使いに行くのに 洋服を パリっと 着こなして 行くのかい?
ところで お前 洋服を着た 英国紳士 みたいだね
この時から お爺さんを 始め、洞の オバさんや 洞の 友達さえも 僕を 英国紳士と 呼びました。
「純坊」? 以後 2番目に 付けられた 僕の ニックネームの 誕生でした。

母は 幼い僕(幼稚園のころ)に バスに乗って しばらく 行かなかった 明洞の 祖母宅に 行ってくる お使いを 頼みました。
祖母宅は ソンヒョン外科を 経営していて、探すのに さほど 難しくはなかったのですが、
素直に 僕は 怖気付いていました。
しかし 自慢をしたくて お使いを する事を決心しました。
母は 祖母に 電話をして 僕が行くことを 話し、僕に ばれないように 後を 付けました。

祖母宅に 到着した僕は、アメリカ大統領が 韓国歴訪時よりも もっと 大きな 歓呼を 受けて、
これ以後は 祖母の 小遣い攻勢は 僕を 楽しくさせるのに 充分でした。



  1. 僕は英国紳士だった
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珍釈「僕は英国紳士だった」・・・ :: 2009/03/13(Fri)

=愛するしかない 理由=

・・・毎日は 続く 世界であるかのように 思えた
  埃に 塗れた 世界に 俺は疲れてしまったのだろう
  一度 強く ぶつかってみようか
  もう 曲げるのは 嫌だ
  道が 終わったなら  そこから また 始めれば 好いじゃないか・・・・

まさに この詩は 真に 映画「若い男」の タイトル曲に なる。
僕が 特に この歌が 好きな理由は、僕が歌った わけでなく 僕が出演した映画だからでなく
まさしく 歌詞の所為です。
成す術もない 都会人の 深い 虚無が漂い
自尊心を持って 再び 挑戦しようという 暗示が 伺える この 歌詞は
折にふれ 僕の 背中を ぶっきらぼうに 叩いて 「頑張れ!」と 言ってくれる

映画の中の歌を 聞いてみた 読者の方が どんな評価をするか わからないが この歌は
生まれて 一番 良く歌った 歌であることを 解っていただけたら 有り難い。

レコードを吹き込んだ「제법인데?」の 話を 最近聞いたんですが・・
1年間の結果で・・ 私の歌を 聞いた方は「ジョンジェの歌は 白ける」と 口を揃えて 言ったのだとか。

『モレシゲ』以前の 事なんですが・・
カンナム(江南)の ライブハウスに 遊びに行って 歌を 歌ったことがあって、自分なりに 力の限り 声を 張り上げたり 巧みに操ったりと 一生懸命に 歌って・・舞台を 降りながら 拍手まで 頂いて・・・
「嗚呼~  久し振りに 歌うから ダメなんだなぁ~」 曲の テーマを 解っていたかな?とか 考えて しょげている 僕を 言葉なく 眺めていた ユンス叔父さんは 僕に 向ってきながら 大発表をしました。
「おい! イ・ジョンジェ、 お前 今日から 二度と 俺の前で歌を歌うな!
どうか お願いだ!  これでも 歌うというのか?」
この言葉を 聞いた 瞬間 頭が ガンガンして 胃の中が 焼けて、恥ずかしながら 吐いてしまった。

何か月が 過ぎ 『モレシゲ』の撮影が 始まり、 これが 出来るか? あれをすべきか?
忙しい隙を 縫うように 僕は 大変な苦労の中 歌の 練習をした。
ボロボロになった 自尊心を 思う存分 回復しろ!」と 覚悟して、
明け方に 帰宅する 日々も 確かにあった、 喚き散らすように 歌を 歌った。

こんな 息子を見て 両親は「この子は 最近 歌手に 転向しようとしているのかしら? とてもじゃないが 無理みたいだ」等と 心配した。

遣り甲斐は あった。
『モレシゲ』打ち上げパーティで 堂々と 舞台上 マイクを掴み 我らの国歌「愛した 後で」を 始め 難しい曲を 連続して 4曲も 歌ってしまった。
パーティ会場に 爆発したかのように 広がる 拍手。

「嗚呼~ これだから 歌手達は 舞台を 忘れられないだなぁ~」と 自尊心に しかと 満ちた心持で 舞台から降りると・・ユンス叔父さんが 横に しかと くっついて 座った。
叔父さんは 僕の 頭を ポン と 叩いて、叔父 特有の 顔をしかめた 笑いで 僕の 実力を 認めてくれた。
「こいつ^^^^ 歌 上手いねぇ~」

こんなのって 違うかなぁ^^^ 価値を認め合って

出来なかったら 叱られて、 良く出来たら 誉められて、無かったら 助けられて、 有ったら あげて、泣いたら なぐさめてくれて、笑ったら もっと 大きく笑ってくれて、 こんな日常って 面白くない? こんなことって 世の中に 満ちてるかな・・・
世の中の 老人たちも・・・いや 違う・・・日々 過ぎ行く者にこそ やすらぎは 当然だ。

僕は いつも 変化する 生活が したい。
そして 変化とは 僕は 率直であれ と 信じている。
変化とは 発展を 前提とした ジャンプのこと。

僕が 変化出来るのは 霞み 埃を 被った 都市が 有るから だと思う。
そして 変化出来るのは 僕とは 無関係に 舞台で 最善を尽くす 人が居るから だと思う。

僕が 愛せざるを 得ない 理由です。


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ワンパターンの マイブームで ごめんなさい! :: 2009/03/13(Fri)

ジョンジェの お家は 特定できたけれど・・・何階かが 不明ですが 向って 104の右端が 濃厚グー!
おつぎの写真と比べると ピッタシ カンカンsn
PICT0046_20090312235939.jpg104と 102 ジョンジェの窓から102が見える


☆そう 思って眺めると どんなものでも お宝になる・・・まさしく ジョンジェの お家は そんな感想を持てる 場所です。
チョンダム・・ブランド通り 絶対縁がないところなのに 「君住む町」だから 通り過ぎるだけでも 嬉しくて、「君住む町」だから 懐かしく 想い起せる 特別な所。
ソウルで一番好きな場所は 徳寿宮の「トルダムギル」 二番目は 永東大橋付近になりました☆





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イ・ハナ、  ドラマ『トリプル』に出演^^^^ :: 2009/03/06(Fri)

☆新たに コーチ役で 投入された イ・ハナさん!
始めた見たのが「恋愛時代」 ソン・イェジンの妹役で シッカリ者で そそっかしくて 概ね 憎めない役どころ、大好きな コメディアン? 性格俳優の コン・ヒョンジンが相手役。
「花咲く春には」では ギター片手に 歌手の役、 「太陽の女」では 歌手兼 女優も やってしまった。

歌は 玄人はだし、演技と言うか 役柄は 生温い 恋愛が 似合わないタイプですねぇ~・・・三人の 男に 絡むのには ミン・ヒョリ& イ・ハナ・・・
どうせなら もう約 1名 投入して貰いたいです・・・ジョンジェは ハナさん タイプでないかもしれないです????
ハナさんは ゲサンと くっついて ニコッ♪

第1回放送日が 6月10日に決まったようです・・・スケートのシーズン おもっきり 外しているから 微妙ですネェ・・・本来は 今年1月放映予定が 伸びに延びた 結果ですので 

もう 一部 撮影に入っているのかしら? 
それとも 皆様 フィギュアスケートの 練習に 余念がないのか? 
制作記者発表は やらないのかしら? ☆

 

  1. ジョンジェにかんする事
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韓国代表 かなり 強い^^^^ :: 2009/03/03(Tue)

☆「侍 ジャパン」を 倒した 西武に 韓国が 4対2で 勝つ。
本日は 「巨人」と 対戦 只今 9回の表 3対0で 巨人が 勝ってます^^^^(強化試合)

普段は 野球は 興味ないですが、韓国と聞いただけで 反応です。
名前も 似ている方が? 多くて 覚えられないですが、とにかく 強い 韓国です。
強化試合でも これだけ 盛り上がるのですから 日韓 どちらが 勝っても 嬉しいです、

ジョンジェは スポーツ大好きだから・・・
3月5~9日 日本開催地・・韓国戦 有りますねぇ~
サッカーで 来た事があるから 野球では?☆





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