☆イ・ジョンジェを捜して☆

韓国映画『情事』を見て 鍛えられた細身の肉体の美しさと 何より その指の美しさに魅せられて 私なりの イ・ジョンジェをスクリーンやテレビドラマの中に捜していきたい。



11/18日HERMES 行事に! :: 2016/11/20(Sun)

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11/18日HERMES  ←会場で動くジョンジェssiが見れて嬉しいゾ


☆少し 素っぽさが 嬉しい写真です、HERMESだそうですから 会場にいらしてる女性の方も それ相応と見受けられます。
掴んだ手を 一向に放さないのは キット 女性の方だよね・・・・気持ち分かります・・・・・離したら もう二度と掴む事は無いから・・・・ジョンジェssi ロン毛が 好いです、時代に迎合して無くて 自然に見えて またまた 好感度が上がります。
表情も 穏やかで 今日の天気のよう(小春日和で~す)で、ほっこりしました・・・ありがとう



  1. ジョンジェにかんする事
ファッション談義・・・バイクジャケットをシックに着こなす!! :: 2016/11/07(Mon)

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=俳優イ・ジョンジェがバイクジャケットを活用したファッションで≪ハンサムだ≫を最大化させた。

去る1日夜放送されたSBSプラス‘スタグレム’ではスタイルマスターMCチョン・ユンギがGブランドの15周年ローンチ行事場所に行ってトップスターに会って彼らからファッションに関するインタビューを進めた。

行事に参加したイ・ジョンジェは ≪なぜこのように素晴らしいのか≫というチョン・ユンギに応えるように、この日イ・ジョンジェは襟の大きなライダースジャケットにチェック ズボンをマッチ、シックな雰囲気が精一杯感じられるスタイリングで視線をひきつけた。

衣装ポイントを尋ねるチョン・ユンギの質問にイ・ジョンジェは自身のスタイリングにチョン・ユンギの助言があったことを紹介した。
これに対しチョン・ユンギは“このようなライダースジャケットはイ・ジョンジェさんだけ消化可能だ!としてイ・ジョンジェのファッション消化力をほめた。

イ・ジョンジェは≪私も バイクジャケットをしばしば着るが、こんなに 派手なのは久しぶり≫として、英文の派手な裏面を見せた。
イ・ジョンジェが後に振り向いただけなのに、現場には女性たちの叫び声が炸裂した。
イ・ジョンジェは≪私の年で こうしたものを 着てもかまわないかが?分からない≫として恥ずかしく笑ってみせた。=

☆ライダースジャケットが流行りなのか どうかはわからないけど、バイク族にとっては 定番のアイテム。
似合うかと言われたら どうなのかなぁ~恐ろしく マッチョで 強面さんが 着るみたいな
お友達だから 駆けつけたが 正解なんでしょう。  ジョンジェが笑顔だから まぁ 好いかぁ☆



  1. ジョンジェにかんする事
その名は 朝子(笑) :: 2016/11/06(Sun)

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近頃 珍しく嵌ったドラマ「愛するウンドン」…………今の時代に 痛い 純愛物だし、タイトルもダサいしで 韓国での視聴率は低調だったらしいのですが、おつぎは このドラマに出会って 本当に良かった!

「愛するウンドン」は 随筆家 피천득 作「인연 」 と ニコラスパーク原作「君に読む物語」 にヒントを得て制作をしたということです。
「縁」は 韓国人なら誰でも知っている エッセイで 短いので 訳文を載せます。

피천득 作「인연 」

今年の4月、春川[チュンチョン]に行こうとして、行けなかったことがあった。
目的は聖心女子大學校に行きたかったのだ。

その学校のある秋学期、週1のペースで私の授業があった。
地方通いで講義を担当することになり、少々辛かったが、
周シスターと金シスターの二人が、わざわざ我が家にまでやって来て
お願いされたことへの儀礼的な意味もあったが、私には私なりの事情もあったのだ。

数十年前、私が17歳になった春、初めて東京に行ったことがある。
ある方の紹介で社会教育家三浦先生のお宅で、下宿させてもらうことになったのだ。
芝区(現在の港区白金付近)にあるそのお宅には、
ご主人の奥さんと小さな娘さんの3人で生活されていた。女中さんも書生さんもいなかった。

目が綺麗で、よく笑う娘の朝子は、最初から私を実の兄のように慕ってくれた。
朝方に産まれたからといって、「朝子」という名前を付けたとのこと。
家の庭には、大きな木が植えられ、1年草の花も多く見られた。
私が到着した翌朝、朝子はスウィートピーの花を摘んで、花瓶に差し、
私が使うことになった机に飾ってくれた。
スウィートピーは朝子のように、幼く可愛い花だと思った。

聖心女子学院初等科の1年生だった朝子は、ある土曜日の午後、私と一緒に、学校まで散歩をした。
幼稚園から大学まで用意されたカトリック系教育機関として
有名なこの女学園は、市内にありながら大きな牧場まで所有していた。
朝子は自分の下駄箱を開けて、教室で履くための白い運動靴を見せてくれた。

私が東京を離れる日の朝、朝子は私の首を抱きしめ、頬にキスをしてくれ、
愛用の小さなハンカチと 大切にはめた小さな指輪を別れの贈り物としてくれた。
そばで 見ていた先生の奥さんは笑って 「10年くらい過ぎたら 良い相手になれるわよ」と言った
僕は 顔が熱くなるのを感じた。
僕は朝子に 別れの贈り物として アンデルセンの童話の本をあげた。

その後、10年が過ぎ、そして、3・4年の月日が流れた。
その間、私は、国民学校の1年生くらいの可愛い少女を見ると、朝子を思い出すようになっていた。

私が2度目に東京に向かったのも、4月だった。
宿泊先を東京駅に近い旅館に決めた後、すぐに、三浦先生のお宅を訪ねた。
朝子はいつのまにか、清純で見た目にも洗練されたご令嬢になっていた。
家の庭に咲いている木蓮の花のように・・・
あの時、彼女は聖心女子学院の英文科3年生だった。
私はちょっと気まずい感じだったのだが、朝子は私との再会を喜んでいたように感じた。
ご両親が、時々私の話しをしてくれて私の存在を記憶されていたようだ。

その日も土曜日だった。夕食前に、一緒に散歩に出かけた。
そして、何げなく意識もしなかった足取りは、聖心女子学院の方向に向かっていった。
キャンパスを一通り回って戻る頃には、私は朝子に靴箱はどこにあるのかと聞いてみた。
彼女はなんの事かしらという表情で、私をじっと見つめ、教室には靴を脱がずにそのまま入るのと言った。
そして、突然、彼女は走り出し、教室に置き忘れてきた傘を持って戻ってきた。

今でも私は女性の傘を見るたび、薄緑がキレイだった彼女の傘を連想するのだ。
“映画「シェルブールの雨傘」”を私がとても好きだったことも、朝子の傘のせいではないかと思う。
朝子と私は夜遅くまで文学について語り合った後、軽く握手をして別れた。
新たに出版されたバージニア・ウルフ作「歳月(1937年)」についても話題にのぼった。

その後再び、十数年の歳月が流れた。
その間、第2次世界大戦が勃発、そして朝鮮半島は日本から解放され、そして 朝鮮戦争が起きた。
私はどういうわけか、朝子の事をしきりに思った。
結婚はしているだろうし、住んでいた場所は爆撃を受けなかったのか?
旦那は戦死でもしなかったのか?といろいろ考えた。

1954年、初めてアメリカに渡って韓国に帰国する際、私は東京に立ち寄り、三浦先生のお宅を訪ねた。
意外にも、町内がそっくりそのまま残されていた。
そして 三浦先生のご家族はお宅でそのまま生活されていた。
先生の奥様は、興奮したお顔で私を迎えてくださった。
そして、韓国が独立できて何よりも良かったと祝いのお言葉もかけてくださった。
朝子は戦後、マッカーサー司令部で翻訳の仕事をしていたが、
そこで出会った日系2世と結婚し、別の場所で暮らしているとのことだった。
朝子が戦争未亡人にならなかったことは大変良かった。
しかし、日系2世と結婚したという点が少し 心に引っかかった。
会ってみたいと言ったら、奥様が朝子の家に案内してくれた。

角ばった屋根に角ばった窓が据え付けられた小ちゃな家だった。
20年以上前、私が朝子にあげた童話本の表紙に描かれた家もこんな感じだった。

“あっ!きれいだわ。私たち、機会があったらこんな家で一緒に住もうよ!”

朝子の幼い声が今も聞こえてくるようだ。
10年ほど早く戦争が始まって、その分、早く韓国が独立を果たしていたら、
朝子の言葉のように、私たちは同じ家で暮らしていたかも知れない。
例え、角ばった窓のある家でなかったとしても・・・こんな儚い思いがよぎっては、過ぎ去っていった。

家の中に通されてすぐ、鉢合わせしたのは、萎れた百合の花のような朝子の顔だったのだ。
「歳月」という小説について語り合って以来、10年以上もの時間が経過しているものの、
彼女は まだまだ 若々しさを残した 働き盛りの年齢なのに。
彼女のご主人は私が想像した通り、日本人でもなく、アメリカ人でもない、
そして、進駐軍の将校だということを威張っているような男だった。
朝子と私は、何度かお辞儀をして、握手もせずに別れた。

懐かしいと思いながら、一度会うと 二度と会えない気がして、その後、会うことが長らく叶わないなんて事もあるし、
一方では、生涯忘れられないと想いながらも、その後、会わないまま生きていくようなケースもある。
朝子と私は3度出会った。3度目は会わないでいたほうが良かったのだ。

今週末には、春川へ 行ってこようと思う。
昭陽江の(春川市内を流れる川) 冬の景色は 今年も美しいことであろう。(終)


☆そして これからが 本題なんですが この ピ・チョンドゥク「因縁」を 映画化したのが、
イジョンジェ主演「純愛譜」だった❣️

もう この事を 知っただけでも 愛するウンドンを 見た甲斐があったというものです。
時は2000年代の韓国と日本の日常、韓国の主人公は 役場に努める27才の末端職員ウィン、
一方 日本の主人公 アヤは18才の浪人生、そして ネットアイドル 赤い靴を履いた朝子でもある。
一見何のつながりもないように思える 男女の縁を それぞれの 視線から描いている。

ウインとアヤは 3回会う。
1度目は アヤが修学旅行で行った 1998年 景福宮で 一緒に写真に写ってる、
2度目は インターネットポルノサイトで 客とモデルの関係で、
3度目は韓国発東京経由アラスカ行きの飛行機で・・・・
二人の物語はここから始まるがラストシーンです。 名前は 朝子、赤い靴。

ドラマ「愛するウンドン」
1度目は 小6のウンドンと17歳のヒョンスの出会い。別れに運動靴をプレゼント。
2度目は 10年後 偶然に再会を果たすが 直ぐに 音信不通。
3度目は 10年後 ウンドンは記憶を失っていたが・・・・大丈夫 ハッピーエンドでした。

人は 誰でも 「縁」の紐が 結ばれそうで 結ばれず 逃してしまった 異性を
一人ぐらい胸に抱えて生きていくと言います。
出会いと 別れの 追憶が 鮮やかに蘇る 少し 時代遅れのこのドラマ、
初めて韓国ドラマに熱狂した頃を思い出し胸が熱くなりました☆




  1. 韓国 ウワサ話